破産に至るまでの話 1

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家庭の経済的水準が急激に下がったのは旦那が軍をやめた2012年だった。

それまでは、いわゆる軍人住宅に住んで、家賃も光熱費も政府に出してもらっていたから、今思えば楽な生活をさせてもらっていた。しかも共働きだったから、旦那も私もそれぞれにお金があったけど、それを使いたいものに使いたいように使ってた。夫婦なのに共同名義の口座も持っていなかったから、二人でお金を一緒にためて旅行に行こうとか、家を買おうとか、そういうことも一切なく、子供の大学資金すらためてなかった。

今思えば、夫婦として正常に機能してなかったし、子どもたちにとっても本当に駄目な親だった。

旦那が軍をやめる事になったときはかなり不安になって、旦那には「早く仕事探して」ってずっとお願いしてたけど、焦る私に、旦那は「退職金も毎月支払われるし、大学にも通うからその分、軍から補助金も支払われる。それに過去に中東の戦争で負った負傷もあるから補償金もかなりの額が入る。仕事なんてなくてもやっていけるよ」ってかなりのんびりしてた。

私の収入では食費と子どもたちの習い事くらいしか支払えてなかったし、どう考えても旦那の仕事無しでは家賃や光熱費を支払えるとは思えなかった。

他の元軍人が退職後に職探しに苦労する話をよく聞いてたし、退職金も大したことないって知ってたし。

軍の住宅を出なきゃいけないとなると、住むところを探して、家賃も光熱費も支払わなきゃいけない生活が始まるわけで。。

旦那がちゃんとしたフルタイムの仕事を見つけるまでは、日本の実家に子どもたちを連れて帰るつもりで、職場の上司や実家にいる姉にも相談して、いざとなったら帰国する心構えでいたんだけど、私がそんな準備があることを伝えても旦那の心には全く響かず。そんなことをしたら誘拐罪で訴えると言われた。

ちゃんとした仕事見つかるまでは東海岸に住む義母の家にしばらく住まわせてもらおうよ、ってお願いしたけどそれも旦那は嫌がった。

本当に住宅を出なきゃいけない日が近づいてきてようやく「フルタイムの仕事が決まったよ!」っていわれ、結局慌てて見つけた3ベッドルームのコンドミニアムに引っ越すことに。

貯金がなかったから、旦那の退職金と補助金が出たら一気に返済することにして、私名義(旦那が保証人)で大きな額のローンを組んで、そこから引越し費用を捻出した。

ところが、退役してから最初の月に「軍側の不手際でどうやら補助金や退職金がちゃんと振り込まれていない」って言われ真っ青に。。。

それから何度聞いても「まだお金貰えてないんだよね。。。」って一向にお金をくれず家賃すらわたしてもらえず。。。流石に6ヶ月経った頃に、もう借りてたお金も底をつきそうになり、「まだ?流石に訴えてもいいくらいじゃない?」って迫ったら

「あ、今月は入ってた。。」って。。

でも、かなりの期間不払いだったから大きな額がまとまって入るものと思いきやそうではなく。。。

どうやら、ずっとお金はちゃんと振り込まれてたけど、旦那は嘘ついてた。

私が組んだローンでずっとお家賃も支払っていたから、そのことを知ってか忘れちゃってたか、「何だ、うちお金あるじゃ~ん\(^o^)/」って思ったのか、全部自分の好きなように使っちゃってたとしか思えない。

しかも、フルタイムの仕事見つかった、ってのもデタラメだったし。「俺は仕事が見つかった、とは確かに言ったけど、フルタイムとは言ってない」って。。週に3回一日5時間くらいのアルバイトだった。。

当時の月収入(旦那の退役後)

  • 旦那の退職金 手取り:$1,200.00
  • 旦那のバイト収入:$500.00くらい
  • 私の手取り:$1,600.00
  • 軍からの補助金:$2,600.00
  • 家賃:$2,300.00

いつまでも続くわけじゃない補助金を期待しすぎて身の丈の合わない家に住んでたこともあるし、やっぱりローンを組んだのが一番の間違いだった。お金がないなら一旦親族のいる州へ引き上げて大人しく待機するきだった。私は子どもたちを連れて日本に帰るべきだった。数年待って、旦那が仕事見つけたら帰ってくることもできた。

ま、今だったらなんとでも言えるけど。

結局、お金がないって嘘ついていれば、家にお金を入れなくてもいいんだってことに味を占めてしまった旦那は、引っ越しのときに借りたローンの返済は「俺はそんなローン組むってことに対して承諾した覚えはない」と、一切支払わなくなった。

更に、旦那が家賃を支払って、それ以外を私が支払う。って決めていたんだけど、それすら、守ってくれず。軍の補助金も退職金もほとんど自分の好きなことに使っていたみたいで、毎月のように「家賃はいくらだっけ?とりあえずこれだけ渡しておくから支払っておいて」って、全く家賃に足りてない額を渡され、私が不足分を補うようなことが続き。。もともと持っていたクレカの支払いが遅れ始めた。

そこからどんどん生活が苦しくなっていた。

そして旦那はついにバイトをやめ、大学も行かなくなり軍からの補助金も止まった。

私が一家の大黒柱になった。

お金が毎月足りなくて、私は自分の車、食器、要らなくなった衣料品、小さな家には入りそうにない大きな家具や電化製品まで売って現金をつくって、小さなアパートに引っ越した。

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